ドクター&ナースのつぶやき
令和7年7月号
その人の最善を考える
久留米大学医療センター 認知症看護認定看護師 中島純子
久留米市は福岡県内第3の都市ですが、年々人口が減っており、令和7年2月ついに30万人を下回りました。死亡した人の数が生まれた人の数を上回る「自然減」の幅が年々拡大していることが要因として考えられているそうです。そのような中、団塊の世代が後期高齢者となる2025年がとうとうやってきてしまいました。高齢化率は令和5年10月のデータで27.9%と全国よりはやや低めですが、今後増加が予測されています。高齢者のみの世帯数は令和2年約4割とされており、介護保険で要介護者認定を受けている数は約2割で年々増加傾向にあります。国は『認知症の人の意思が尊重され、できる限り住み慣れた地域のよい環境で自分らしく暮らし続けることができる社会の実現を』と新オレンジプランを策定しています。しかし、生産年齢人口の減少もあり、高齢者を支える介護者の問題、キーパーソン不在、老老介護、認認介護、経済的困窮など様々な問題が生じることがあります。
私の所属する久留米大学医療センターはこの久留米市のやや外れに位置しています。地域に根差した病院として、『心が通い信頼される医療』を病院理念とし、先に述べたような日々複雑化する問題に苦慮することがありますが、患者・家族への支援を多職種で協同して行っています。多職種で協同し、ケアを模索していく中で、今やっていることが本当にその人にとっての最善か、と立ち止まって考えることがよくあります。入院による環境の変化は高齢患者さんにとって、リロケーションダメージをもたらします。このリロケーションダメージにより、高齢患者さんは認知機能低下やせん妄発症に至ることがあり、患者さんの実際の認知機能よりも低く評価されることがあります。この低く評価してしまった認知機能低下から安全を重視し過ぎるあまり、患者さんのできることを奪ってしまい、結果フレイルに陥る可能性もゼロではありません。私達医療者はできないことを問題視することがありますが、認知機能低下があってもできることはたくさんあります。患者さんと一緒に過ごしていると、看護師を気遣ってくれる言動や、自分の現状を理解し、家族を思う気持ちを吐露してくれることがあり、その人の持てる力に驚かされます。認知機能低下が強く見られていても、退院後住み慣れた自宅では大きな混乱なく過ごすことができたケースも複数経験しました。基礎疾患の悪化・入院による環境の変化やフレイルから生じる認知機能低下、サポート者の問題などで、本来は選択すべきその人の希望が必ずしも優先されないことがあります。特に認知症の人の望む生活については、家族の選択が重要視されることがあり、まだまだ取り組む余地があると考えます。認知症の人は短期記憶障害や判断力の低下などから、健康管理が難しく、自分の意向を伝えることが症状の進行と共に難しくなっていきます。しかし、平易な言葉でわかりやすく説明することや、「はい」「いいえ」などのクローズドクエスチョンで質問をするなど、その人の状態に合わせて説明することで、認知機能低下が難しいと思われる方でも意志決定ができることがあります。もちろん「その人の希望」=「その人の最善」ではありません。1回の説明では患者さんに伝わらないこともあります。根気強く、本人を含め、家族・院内の多職種・地域のサポート者が集まり、支援を考えていく中で、全員が同じ方向を向いて、その人の最善の生活ができる支援を検討していく必要があると考えています。
私は、認知症看護認定看護師として、横断的に院内外の方に関わる機会をいただいています。患者さんその人が最善の生活を続けることができるように、今日も「その人にとっての最善は?」と声を上げていきたいと思います。
患者さんと協力して飾った七夕の写真です |
