ドクター&ナースのつぶやき

 

令和2年5月号

「日々、想うこと」

 新型コロナウィルスは、2019年(令和1年)12月8日中国武漢で発生した。日本国内で感染者の報告がニュースであったのは2020年(令和2年)1月でした。以降、感染は世界各国に拡がり、3月11日世界保健機構(WHO)によるパンデミック宣言が出された。7月開催であった東京オリンピックの延期、コロナ肺炎による多くの方の死。 医療崩壊の実情、日々流される全国各地のコロナ感染者数。 見るもの、聞くもの全て地獄絵図の様。まさに、コロナノイローゼになりそうな日々を皆様いかがお過ごしでしょうか? 3密を避け、自分が感染者にならないよう自粛した生活を送っています。 幸い現時点では、ご利用者様、訪問看護スタッフも感染兆候なく過ごせています。

 さて、我がSJR別院訪問看護ステーションは平成28年3月開設の4年目のステーションです。門司区の西部に位置し、小倉北区赤坂と隣接する市街地です。北部を国道3号線、JR鹿児島本線が通り、南部は北九州高速4号線が通っています。又、昭和60年10月20日迄西鉄北九州線の路面電車が国道3号路面上を通っていました。JR九州社員研修センターやかつてはJR九州の社宅があり、「鉄道の街」としての側面も持っています。今年は中止ですが、毎年5月末に「門司みなと祭り」が催されます。看護師4名で稼働しています。要介護2~4、難病や、癌末期の方の訪問看護を笑顔と真心をもっとうに日々勤務しています。 色々な癌末期の方と関わらせて頂いています。今回、ご自身が癌末期で夫の介護を担っている方に出会い、令和元年5月より訪問看護を開始しています。当時は外来ケモを隔週でされていましたが、一端入院しました。

 今年2月、退院。BSC方針となり在宅医療へ。介護中の難病の夫と、最期まで一緒に家で過ごしたいと夫婦二人生活での看取りを希望された。 痛みコントロールはフェントスとレスキユーの舌下錠にて良好。 一人娘は他県在住。車で2~3時間かけ月に1~2回週末に帰省。 退院した段階では週単位かもしれないとの見解でしたが在宅力で娘さん親子、ご夫婦で美味しいものを食べに出かけ、喜んでおられました。3月に入ると、全身浮腫が増強し出かける事もなくなった。体動も困難になっているが起き上がり、夫の食事準備をされる。夫には、訪問リハビリが入っているが、難病の進行の為転倒を繰り返し、夜間も頻尿で何度もトイレへいく。転ぶのではないかと心配で妻眠れず。転んでは起こしていた。しかし、ついに、夫の排泄の失敗が頻回となり、その始末が浮腫の為床の掃除ができず、「もう限界。看れん。」と言われ、結局その日の内に急遽、「奥様が入院することになりましたよ」と、伝えて夫にショートステイを了承していただいた。夫は妻の病状は理解していて、易転倒状態ですが手すりを伝い、妻を気にかけ、夜中、部屋を見にいかれていた。自分が妻を守るという意気込みがあった。離れて過ごす事になると妻は「寂しい、寂しい。お父さんを預けるんじゃなかった」「何をしていいかワカラン」と、泣いてばかり。妻は60代後半。60代の在宅看取りは初の経験である。加えて、軽い認知症もある。今回難しい事例に関わらせていただき考えさせられる事が多い。どういう最期を迎える事になるかわかりませんが、真心を尽くすのみです。最期までご夫婦で一緒に過ごさせてやれなかった現実がつらいです。

            3月末  SJR訪問看護師  木村 従子

 

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